茶園のこだわり&歴史

茶園のこだわり&歴史

Tea garden specialties & history

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お茶のカジハラ三代目になる梶原敏弘です。
梶原家の長男に生まれ地元の高校を卒業後、熊本県立農大へ進学しお茶コースを選択しました。
その後、地元へ帰り二十歳で就農。
コスト面からお茶農家や卸し問屋、市場が蒸し茶方向に向かうなか、あえて希少価値となる「釜炒り茶製法」にこだわり、今に至っています。

ここまでの道のりは平坦ではなく、茶業界の低迷で経営の落ち込むなかでも、古い工場への修繕費用は嵩みペットボトルの普及により年々顧客離れも進むなど、先の見えない状態が長く続きました。
その間、JAのオペレーター作業やユンボの免許を取り林道を造成する仕事を受けたり、あとは様々な作物も作り(スターチス、かすみ草、菊、サラダたまねぎ)必死で働きなんとか食いつないできました。
現在は水稲1ヘクタール、サラダたまねぎ6アール、椎茸、たけのこを栽培しています。

しかし、せっかくここまでご先祖様が残してくれたお茶でなんとか生計を立てたい。
お茶で人を笑顔にしたい。
日本の大事な文化を次世代に継承したい。
自分が一番専念したいことはお茶作りで、無限の可能性を持つお茶の魅力がたまらなく好き。
その思いからその頃まだITの知識もないまま、資金をかけてHPを作りネット通販をするという小さな農家の大きく無謀な挑戦をしたのです。
これが10年前の話しです。
今やHPは誰でもしかも無料で開設できるほどの普及率になりましたが、当時、普通の農家が使いこなすには相当な高いハードルがありました。

せっかく作ったはよいが操作方法も分からず、5年間は鳴かず飛ばずの状況。赤字部門でした。
お茶の売り上げも一向に伸びず、どん底で迷いに迷って居た頃、ネット通販から様々な人との出会いが自分を大きく変えていったのです。
そこからお茶作りに対する意識も徐々に変わり、改めて釜炒り茶作りの基本や工場を見直し時代のニーズに合わせ烏龍茶、紅茶など台湾や中国へ渡りお茶作りの技術を習得する機会も与えてもらいました。
お金には換えられない人との出会い、それが今に繋がっています。
そしてようやく遅ればせながら県外進出、日本国内のお茶や紅茶のイベントに積極的に参加するようになりました。
今年で三年目の参加になる京都吉田山大茶会もその一つです。
関東ではほとんど知られていない「釜炒り茶」、頑張り次第でもっともっと知っていただける需要があるそんな手応えを感じます。
お客様から「こんなに美味しいお茶だもの、自信持っていいですよ!」
課題は山積みですが、お客様からのたくさんの励ましの言葉、美味しい!の笑顔に、日々精進しています!!
6年前より息子が就農してくれたので若者の意見を取り入れつつも、伝統を守るところはそのままで、古くて新しいお茶作りを目指します。

わたしどもが心を込めて作った釜炒り茶、和紅茶、烏龍茶をいつもご愛飲いただき心からお礼申し上げます。

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お茶のカジハラ
三代目園主 梶原敏弘